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機械仕掛けのトマト

何かあったら、書いてます。いろんなことが織り混ざっているので、何でもこい!な方はどうぞ。
更新は、遅いかも。

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2024/05/19(Sun)06:53

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『Garden』-第一章:魔女の岬に住む少女⑤-

2015/05/11(Mon)23:18

コンコン。

呼び鈴など取り付けられていない扉には、もう何度も繰り返し叩かれたのであろう。白く削れて凹んでいる部分がある。
明らかに古さを感じる家の造りから、アデルは慎重に、できるだけ優しく、拳の裏を打ち付けた。

コンコン。

返事はない。

「・・・リリス?」

声を掛けてみるが、その呼びかけにも返ってくる声はなかった。
ここ数日ではなかったことに戸惑い、アデルはしばし、その場で動きを止める。

任務のため、この魔女の岬に通っていて、リリスが家を空けていたのは、初めてだった。いや、最初の出会いを考えると、あれは丁度留守にしていた時だったのだから、初めてでもないのかもしれないが。
昨日も、買い物やレースの納品に街へ出掛けていたことを考えると、彼女の行動範囲は、どうやらアデルが思っているよりも広いようだ。

周囲を見回し、庭の草木の影に隠れているのでもないことを確認すると、つと、視線を家の対面へと向けた。そこには、強い存在感を放つ黒々とした森がある。

(森か・・・?)

出会って2日目、ここで庭の手入れをしていた彼女が、薬草を採るために森の中へ入ることもあるのだと言っていたことを思い出した。芋づる式に、その時の自分が、先輩から教えを乞い、不器用な手でトマトの苗を植える新米園芸家状態だったことまで記憶の端に上ってきたが、人間、都合の悪い記憶は上手く見えなくなる傾向にある。
アデルは、その記憶の上に重石付で蓋をした。

(そういえば、出会い頭に背後から体当たりをされた時も、丁度、薬草を取りに行ったのだと言っていたな・・・)

真っ赤になりながら弁解をしていた彼女の姿も併せて思い出し、アデルはフと口元を緩める。
自分のことは完全に棚上げにする姿勢だったが、今この場に、そんな彼を諌めるような者はいない。つい緩んでしまった口元を引き締め、誰が見ているというわけでもないが、「こほんっ」と一つ小さな咳をして、大きく脱線しかけた思考を目の前の森へと戻した。


初めてここへ来た時以来、アデルはあの鬱蒼とした森の中へは足を踏み入れていない。
その理由としては、あそこを通る道が、リリスの住むこの魔女の岬から街への最短ルートではないということを知ったというのもあったが、その事実にしても、アデルが自ら森を通る以外の道程を尋ねたことで知れたことである。
やはり何よりも大きな理由は、初めてあの場所を通ってきた時に感じた、なんとも言い表し難い薄気味悪さと不安に駆られる程の緑の濃さに、彼自身、出来ることならと再び入ることを避けてきたからにほかならない。

しかし、この場所へ来たことも、家の主がいない状態では全く意味をなさないわけで。
アデルは逡巡した後、ゆっくりと、その足を森の中へと向けた。






ザッザッザッ・・・――――――

道とも言えないような獣道を行く。
来た時も思ったが、ここは本当に人が行くための道なのだろうか。心細くなるほど細く、薄い地面が覗くその道筋は、踏みならされているといった感触が、あまりにも乏しい。ここを歩く者の少なさを如実に表しているようだ。
普段、リリスが薬草を採りに入っているといっても、身体の小さな少女が一人。彼女の小さな足と軽い体重を思えば、当然と言えば当然である。

しばらく、道とは思えぬ道を進み、アデルは進む先の出口から入る日の光に目を留めると、それと同時に、その歩みも止めた。
歩いてきた道に、リリスの姿はなかった。

(この道筋ではなく、もっと奥の・・・・)

辛うじて道として認識できる足下の薄い地面から外れた、道標のない森の奥深く。そちらへ目を向けると、自然と身体に力が入るのが分かる。
自分の立っている場所でさえ、上を見上げても空模様一つ分からないのだ。この道から外れて、奥へと進もうものなら、再び元の場所へ戻ってこられるのかも怪しい。

足を進めようとして、アデルはいつの間にか自分が息を止めていたことに気づく。
「はっ、・・っつ//」
何か魔物でも潜んでいそうな森の雰囲気に、緊張しているのだろうか。知らず、息まで詰めていたようで、胸を抑え、大きく一度深呼吸をする。

(俺は、何を怯んでいるんだ・・軍人が、こんなことでどうする・・・!)

初めてここを通った時よりも遥かに大きな、胸に渦巻く不安感。今朝も夢見が悪く、寝不足が続いている所為だろうか。その嫌な感覚に苛まれながら、アデルは一度目を閉じ、そして再び開けると森の奥を見据えた。

行くと決めた。そこには、リリスを探すという名目以前に、少女が一人、平気で入っていけるところに、自分が入っていけぬはずはないという、小さな意地もあった。




ザッザザッザッ・・・・―――――――――

「はっ、はぁっ・・・///」

道なき道が続く。最初の道を外れてから、もう道と呼べるようなものはどこにも見当たらず、それどころか、辺り一面、どこも同じ風景に見える。
見た目通り、あまり人が踏み入らない場所だからだろう。誰に遠慮することなく、森の木々たちはその枝葉を大きく広げ、よく言えば伸び伸びと。悪く言えば、傍若無人に成長しており、まるで意思を持ってアデルの行く手を阻むかの如く、次々と目の前に立ちはだかった。
それらを一つ一つ、両の手で避けながら姿勢低く進んでいく。

知らない土地で、どんな生態系なのかも分からない、深い森。ゆっくりと、慎重に・・・頭ではそう思っているはずなのに、気がつくとアデルの足は、彼の意思とは別のところで、勝手に前へと出ていた。いつの間にか、心なしか早足になっていく。

ザッザッザッザッ・・・―――――――――

ズルッ・・・!!
「くっ・・!!//」
木肌を侵食するように群生した苔に、足を滑らせて転びそうになる度、何度も踏ん張って体制を立て直し、半ば無理矢理に次の足を前に出した。
何故?と、アデルは自分の中で問いかける。何故自分は今、こんな森の中をこのように我武者羅に突き進んでいるのか。
急ぐ必要はない。焦る必要もない。ただ、そう自分はただ、人を探して・・・。

(このままでは、戻る道を見失ってしまうのでは・・・)

随分と奥に入り込んできてしまってから、ハッとして振り返ると、確かに自分はそこを進んできたはずなのにも関わらず、もうそこに道はなかった。
静かな、ただひたすら静かな緑に覆われている。


ドクンッ・・・!!


不意に、アデルの心臓が大きく跳ねた。

風も吹いていないのに、ガサリと、葉擦れの音がしたような気がして、今は所持していないと知っていながら、腰の剣に手をかけようとしていた。
腰に伸ばした手が空を切ると、拳銃だけは懐にあったはずだと、護身用程度に持ち歩いている銃を探して、不自然に手が彷徨う。


『げて・・っ!!』
「!?」


声が聞こえたような気がして、その方向に素早く目を向けるが、当然のように、そこには何もない。
自分が息を潜めている所為か、森があまりにも静か過ぎて、アデルの耳には、己の速くなる鼓動の音が鮮明に聴こえていた。
(幻聴だ。ここには、他に誰も・・・・・)


『逃げて・・っ!!!』
「っつ・・・!!?///」




『逃げなさいっ!!アデル・・っ!!!!』




気が付けば、走り出していた。

「っは・・っ/////」

頬が燃えるように熱い。炎が、火の手がすぐそこまで迫ってきているのだ。
残してきた村の人々の悲鳴が聴こえる。形のないはずのそれは、身体の自由を奪う枷のように身体中にまとわりついて、この身を重くさせる。
村を襲った人間たちの声が聴こえた。

『これで、全部か・・っ!?』
『もっとよく探せ!!』
『他に生き延びている奴がいるかもしれないぞ!!』

殺される。そう思った。
見つかったら、間違いなく殺される。

炎に包まれ、焼け落ちる木々の悲鳴に紛れて、自分の足音が聞こえないようにと、ただそれだけを必死に心の中で祈りながら、アデルは暗い森を駆け抜けた。
殺される。その恐怖に、後ろを振り向くことは出来なかった。

夢見の悪さの所為だろうか。ここ2日程連続している悪夢が現実と混同されているのが分かっていながら、アデルの足は止まらない。

ザッザッザッザッザッ・・・―――――――――!!

(!?あそこは・・・っ!)

突然、目の前に光が見えた。
この濃く、暗い森の奥へと足を進めてから、初めて目にする光に、アデルは何も考えず、飛び込んでいく。



ザザッ!!・・・―――――――――

「っ・・・・!!?」



そこは、丸く開けた場所になっていた。
地面には青々とした芝生が控えめに生え揃い、今まで日を奪い合っていた木々が、まるで、そこだけをそっと避けるようにしていて、太陽が地上に日の光を注ぐがままになっている。

その中央に、降り注ぐ光を受けて、肌触りの良い絹のように揺れる切り揃えられた紅茶色の髪。褪せた赤紫色のワンピースは、昨日まで見ていたものと同じで、その裾が流れる風に任せてゆったりと揺れる。
彼女の足元には、昨日も目にしたワンハンドルのバスケットが置かれており、その中には、今し方摘んできたのであろう、様々な種類の薬草が詰め込まれていた。

リリスは、太陽を見上げた姿で佇んでいる。瞳は閉じられ、長く生えそろった睫毛の一つ一つまでが、幻想的な輝きを帯びていた。このままずっと動き出すことはないのではとさえ思える。魂を封じ込めて時を止めてしまった人形のようだ。
人の時を奪い、そこへ留めたらこのような姿になるのではないだろうか。

アデルは、追いかけられていた過去の悪夢も忘れて、その姿に見入る。
今まで自分が通ってきた所とは違う。その場所だけが、本当に時が止まってしまったかのように穏やかで、先程までの自分が嘘のように、足が一歩も動かない。


『あの子はね、森の子供なのよ。』
特別な内緒話を聞かせるようにそう語っていた、優しい老婆の顔を思い出していた。


そうして、しばらくの間、声も掛けられずに立ち竦んでいると、スッと、なんの前触れもなく、リリスのヘーゼル型の瞳がアデルの方を向いた。


「あれ?アデルさん?」


キョトンという形容詞をそのまま当て嵌めたような表情で、リリスはただそこに立つアデルを見る。

アデルは、そこで初めて言葉というものを思い出したように、慌てて口を開くが、咄嗟になんと言っていいのか分からず、その喉からは「あ・・・」と小さな、声とも言えない音が発せられたのみだった。
彼女を探して、森の中に入ったのだと、ただそう伝えればいいはずなのに、まだどこかで、先程まで見ていた悪夢と現実の境界が崩れてしまったような白昼夢を引きずっているのか。胸を締め付けるような恐怖と、そこからの急激な緩和に身体がついてきていなかった。

しかし、そんな彼を気にすることなく、リリスは、森の中で出会えた偶然が嬉しいのか、笑顔で彼のもとへと歩み寄ってくる。

「アデルさんも、一緒に日光浴しませんか?ここは、私のお気に入りの場所なんです。」

サクサクと軽やかな草の音と共に、呑気な空気を纏って近づいてくるリリスに、アデルは一気に身体中の力が抜ける感覚を味わった。

「にっこう・・よく・・・?」
「はい。ここは、森の中でも不思議な場所で、この暗い森の中で、何故かここだけは、こうして陽の光が差し込んでいるんです。静かで、優しい風が吹き抜けるこの場所は、森へ来た時には恰好の休憩場所で・・・・って、アデルさん?な、なんで笑っているんですか?;;」
「っく・・・ふふっ・・////」

気が付けば、自然と頬が緩み、アデルは声を上げて笑っていた。
リリスは、何故笑われているのか飲み込めないまま、不思議そうにアデルの顔を覗き見ている。
「いや、すまないっ・・ふっ・・//君が、あまりにもいつも通りで・・はははっ///」
「?いえ、それは別に構わないのですが・・・・そういえば、どうしてアデルさんはこんなところに・・?」

そう言いながら、すぐ手の届く所にまで近づいてきていたリリスは、アデルの頬を流れる汗に目を留めた。自然な動作で手を前に差し出すと、スッと、その一筋を服の袖で拭い取る。
そのままじっと顔を見つめられて、アデルは慌てて、笑ったために前屈みになっていた姿勢を正した。リリスに見られていたわけではないと分かっていながら、森の中を必死に駆けていた時の醜態を見透かされたような気分になって、誤魔化すように、自らの服の袖で乱暴に汗を拭う。

「これは、その、この森があまりにも深くて、少々焦ってしまって・・だな・・・・」

しかし、そんな言い訳を聞いているのか、アデルが少し目を逸した隙に、いつの間にかリリスは目の前から消えており、慌ててその姿を目で追えば、元いた場所に置き忘れていたバスケットを取りに行く背中が見えた。バスケットを手にすると、駆け足でアデルの傍へ戻ってくる。

「アデルさん!今日は、ハーブティーにしましょう!」

あまりにも唐突な提案に、アデルはぱちくりと音が鳴るような瞬きを返した。
「お庭のカモミールは、昨日収穫したばかりなのでまだ飲めませんが、昨年収穫したものがまだ残っているので、そちらを使ってカモミールティーにしましょう。」
そういえば、以前、カモミールだかなんだかと言われていたような気がするが、その辺りのことにあまり詳しくはないアデルは、また何を言いだしたのかと、目を白黒させるしかない。突如変わった話の方向性についていけず、よく分からないまま、気が付けば曖昧な頷きを返していた。
「あ、あぁ・・・?;」
「さぁ、行きましょう!今日は珍しい種類の薬草も沢山採れたので、早いうちに煎じてしまわないといけないんです!」
リリスはそう宣言すると、いつの間にやらアデルの手を取り、今まさにアデルがやって来た魔女の岬の方向へと、その手を引きながら戻っていた。
何故かは分からないが、やたらと気合い十分なように見える。
もしかすると、これは・・・・・

(気を・・遣われたのだろうか・・・・)

ここ最近の夢見が悪くて出来た目の下の隈を見咎められたのか、はたまた、先ほどの白昼夢の所為で少々血色の悪くなった顔色に気がついたのか。

(どちらにしろ、こんな少女に気を遣われるようでは、情けないな・・・・)

そう思ったが、森の中で酷く取り乱していた先程までの己の姿を思い出し、アデルは自分の手を引く少女の小さくとも力強い掌の温もりを、今は素直に受け入れることにした。
迷いなく森の中を突き進むその足取りのためか、リリスの小さな背が、なんだか急に心強い。

つい先程まで、日の光一つ感じることもなく、ただ暗くジメジメとしていたように思えた森の中も、こうしてゆっくりと歩きながら見渡してみれば、なんということはないただの森だ。所々に木漏れ日を感じる場所もあり、梢の合間に聴こえる小鳥たちの鳴き声が、静謐な音楽となって耳に届く。

「そうだ!昨日の帰り道で、教会のシスターから、フィナンシェを頂いたんです!」
是非、カモミールティーと一緒に食べましょう。と楽しそうに話をするリリスに、「フィナ・・?」と聞いたこともない食べ物の名に戸惑いながら、アデルはその後について歩いた。

草木を踏みしめる足音も、先程までとは打って変わって、どこか優しく。
同じはずの森の帰り道は、不思議と、もう恐ろしいなどと感じることはなかった。


To be continued....


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No.515|GardenComment(0)Trackback

『Garden』-第一章:魔女の岬に住む少女④-

2010/02/28(Sun)16:17


「逃げなさいっ!」

燃え盛る劫火の中、髪の長い女は少年の背を押した。
少年は小さな身体を必死に捩りながら、女の手を逃れようとする。抗えない力に押され、炎で赤く染まった木造の家の木戸から、ころりとその小さな身体は転がり出た。まるで打ち捨てられたかのように地面の上に投げ出され、それでも尚、少年は女の方に向き直る。

「いやだよ!いきたくないよ!!」

その言葉は、激しく爆ぜる木の音と周囲の喧騒の中に掻き消えそうだった。
立ち上がって再び女のもとへ駆け寄ろうとする少年を、女は強い言葉で遮る。
「だめっ!!・・・来ては、だめ・・っ・・・//!」
眉を寄せ、酷く歪んだ口元は、気を抜けば漏れそうになる嗚咽を堪えて小刻みに震えていた。瞳の端からはぼろぼろと涙が流れ落ち、それでも女は強い眼差しで言う。

「あなただけでも、逃げて、生き延びて・・っ//・・・・・アデル・・。」




「!!」

あまりの息苦しさに、アデルは思わず己の左胸を押さえた。
心臓が激しく脈打って、大きく見開いた両目に映る白とこげ茶色が、自分の宿泊先の宿の天井とその梁の色であることを脳が理解するまでにかなりの時間を要した。
「・・・っはぁ・・//」
アデルは前髪を掻き上げながら、横たわっていたベッドから上半身を起こす。触れた前髪は汗を吸って、ぺったりとした感触が指先に伝わった。見開かれていた瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸をする。肺の中を荒れるように行き来していた空気が、穏やかに腹の方にまで落ちてくる感覚を確かめると、閉じていた瞳を開いた。

「・・はぁ・・・・。」
呼吸は正常。心拍数も通常値。
もう何度見たかも分からない夢に、一体自分はいつまでこの夢に捕らわれているのだろうかと、深い溜め息が喉の奥から漏れた。
(・・・久々に、見たな・・。)
それでも、ここ最近は落ち着いていたはずだった。
それが今になってぶり返してくるなど、この世界の雲行き怪しい未来を思わせるようで、なんとも縁起が悪い。それとも、慣れない土地に滞在しているからだろうか。そうであると思った方が、幾分か気持ちが軽くなる。そう考えてから、アデルはベッド上から床の上へと足を降ろした。


ネリネ国の田舎町、ラントに来てから3日目の朝。
それ程観光で栄えているわけでもないこの町には、アデルが泊まっている宿以外に宿はない。その宿というのも、果たして正確に宿と呼んでいいものか迷うくらいアットホームなもので、民宿や旅館というより下宿先のような所だ。
木と粘土で出来た木組みの家がこの町の民家の基本的な形らしく、2階建てのそれは、個人所有の一軒家とするならば大きい方だが、宿とするには大分規模が小さかった。
客人のために用意されている部屋はたったの4部屋。うち一つは、あまりにも旅行客が来ない所為か家主の一人息子が自室に使っている。そして、正確に客と呼べる人間は今のところアデル一人だけだ。
よく潰れないものだと驚いたが、ここの奥さんの話だと、他に宿がないために旅行客は必ずこの宿に来てくれるし、少ないとは言っても、どこか一部屋は常に埋まっているのだとか。あとは、一人息子が宿の経営を手伝う傍ら、自家製パンの販売をしていて、その収入で十分暮らしていけるのだという。
ちなみに、奥さんと息子さんの二人暮らしだそうだ。

この宿の内情について、見ず知らずのアデルが無駄に詳しくなってしまったのも、ここがあまりにもアットホームな所為だろう。
奥さんは優しく気さくな人で、宿の中で顔を合わせる度に何かしらアデルに話し掛けてくれる。1階の食堂では家主も一緒に食事を摂ることがあり、話さないわけにはいかない。
息子はどちらかと言えば無口な方だが、奥さんと話をしていれば自然と会話に加わることも多く、気がつけば話が弾んでいたりすることもあった。
任務に赴いた先で、こんなに親しい人間を作るのも如何なものかと思ったが、寝食を共にする人間に全く関わらないでいられるほど、アデルは冷たい人間でもないのだ。

そして本日も、朝から少し話し過ぎてしまったと心の中で反省しつつ、笑顔で見送ってくれる奥さんの声を背にアデルは任務へと向かう。
任務とは言っても、もちろん服装はごく普通の普段着で、だからその所為もあってか最近は気が抜けているなとも思うのだが。
アデルは今朝の夢を思い出して、小さく首を振った。
もうあんなことが起こらないためにも、自分はこの任務を成功させなければいけない。
自然と、アデルの足取りは速くなった。



「あ、アデルさん!」

岬へ向かう道の途中で、突然頭上から声が掛かった。
岬は街よりも地形的に高い位置にあり、丘を一つ登ったところにある。その丘陵地の途中で、自分の行く手である丘の上の方から誰かがアデルの名を呼んだのだ。
聞き覚えのある声に顔を上げると、丘の上からワンハンドルのバスケットを腕に掛けた姿のリリスが、嬉しそうに大きく手を振っていた。
アデルは呼ばれた声に応えようとして口を開けたが、次の瞬間、開けた口から出てきたのは全く別の言葉だった。

「は、走るな!危ないっ!!;」

リリスは振っていた手を下げると、バスケットを片手に丘を駆け下りてくる。
アデルは嫌な予感に、気づけば足を前後に軽く開き丘陵地の地面をしっかりと力を込めて踏みしめていた。ここはなだらかではあるが坂だ。そして彼女は坂の上、自分は下にいる。
駆け出した初めのうちは笑顔のままだったリリスの表情が、開いていた二人の間の距離が最初の半分にまで縮まった頃には、焦った表情に変わっていた。
当たってしまった予感に、内心で溜め息を吐きながらも、アデルは受け止める体勢をとる。

「わわわ、アデルさん!足が止まりません;;」

そりゃ、止まらないだろう。坂を下っているのだから。
前回のように、再び肉弾大玉転がしなどという目に遭う気はさらさらない。流石に二度目だ。今回ばかりは、軍人らしくしっかりしたところを見せてもいいだろう。
「危ないですから、退いて下さい!;;」と叫ぶリリスには構わず、アデルは道のど真ん中に立ったまま動かなかった。
腕を前に翳して、丁度リリスの肩口辺りが掴めるようにすると、落ち着いて、後はリリスの体重が予想以上に重くないことだけを祈る。

「わわわわわ、はぶしっ・・!!」
「ぐぅっ・・;」

腕がリリスの肩に触れると同時に、彼女の重さを受け止めるようにその腕を曲げてクッションにする。予定ではギリギリ自分の身体の手前で止めるつもりだったのだが、あまりの勢いに受け止めきれず、彼女の顔がそれは見事に、アデルの胸の辺りにドスリと鈍く突き当たった。
鼻の頭を手で押さえながら、リリスは顔を上げる。

「・・・あ、ありがとうございまふ;;」
「げほっ、ごほっ・・・・・どうやら君は、頭突きが得意なようだな・・・。」

胸の辺りに手を置き、アデルは咽せかえりながらそう返した。
前回の鳩尾クリーンヒットに加えて、今回の胸部強打。彼女に限ってそんなことはないと思いたいが、わざとやっているのではないかと思わざるをえない妙技だ。少なくとも、石頭であることは、この2回で分かった。
リリスは「大丈夫ですか?;」と心配そうにアデルの顔を覗き込んでくる。まさか、自分の頭が今正に彼の中で凶器認定されていようなんてことは、思いつきもしないのだろう。それを制して、アデルは呼吸を整えると、改めて彼女の手にしているバスケットに目をやった。

「・・どこかに出掛けるのか?」
「はい!これから、町へ買い物に行くんです。」
そうか、買い物に行くのかと頭では納得しつつ、アデルは内心動揺していた。
任務的には、ここは彼女に付いて行くのがベストな選択肢なのだが、そうすると自分が今来た道を再び戻ることになってしまう。戻ることについては、それ程問題ではない。しかし、わざわざそうしてまでこの目の前の少女の後にくっついて行くというのは、それはそれでおかしいのではないかとも思うのだ。
可愛く言えばカルガモの親子だが、悪く言えば金魚のフン状態だ。
だからと言って、彼女がいない魔女の岬へ行くのも意味がない。
なんとも切り出し辛そうに顔を顰めているアデルに、リリスは丘の上から手を振っていた時と寸分も違わない笑顔でさらりと言ってのけた。

「アデルさんも、一緒に買い物に行きませんか。」



ラントは小さい町だ。
この地域は土地の殆どが森に覆われていて、民家や商店がある人の住んでいる所は一部の開けた場所に限られる。しかし、海に面しているため漁業が盛んで、住宅の密集している部分から少し離れた所には牧場も広がっているので、食べるものやお金に困るようなこともない。隣り町とも容易に行き来ができ、そこでの交流で物の流通も意外と盛んだ。

岬から町へは、森を通らずとも丘を下って一直線で行くことが出来る。
丘の上は草原になっており、見当たる所に道はないのだが、丘を下っていく途中から町へと伸びる草の生えていない道が現れるのだ。
その道を二人で並んで下っていきながら、リリスはふと気がついたようにアデルの方へ顔を向けた。
「そういえば、アデルさんにはお仕事があるんじゃないですか?もしかして私、迷惑だったんじゃ・・・;;」
そういうことは、普通誘う前に聞くものなのではないかと思ったが、仕事について詳しく話していなかった自分にも非があるといえばあるので、そこにはあまり深く突っ込まずにアデルは返した。
「いや、そのことなら問題ない。これが、俺の仕事だ。」
言ってしまってから、あまり任務については教えられない自分の立場を思い出す。意味深なことを言ってしまったと気づき、頭上に疑問符を浮かべながらじっとアデルの顔を見つめているリリスに向かって、慌てて訂正した。
「あ、いや、えっと、その;;・・とにかく、仕事のことは気にしなくていい。・・・・き、今日は、何を買いに行くんだ?;」
アデルの目線は、あらぬ方向へと彷徨っていた。嘘を吐いたり誤魔化したりすることがそれほど苦手だと思ったことはないが、この少女の前だと何故か調子が狂う。おかげで、話題の逸らし方までおかしくなってしまった。
流石に怪しまれるかと思ったが、リリスには全く気にした様子はなく、乗り換えられた話題に意気揚々と答えを返した。素直なのはいいが、なんとも先行きの不安になる対応の仕方だ。きっと、人に騙されるなんてことは微塵も考えていないに違いない。

「今日は、野菜と果物とお魚を買いに行きます。あとは、マルグリッドさんのところにレースを届けに。」
「レース?」
「はい。マルグリッドさんは町のレース屋さんで、私はそこに商品を置かせて貰っているんです。」
レースを売ることを商売にしている店があるのか、という部分もアデルとしては驚いたのだが、何よりもこの少女が自分の力で収入を得ているということが信じられなかった。
しかし考えてみれば、ここに来てから彼女に家族がいる様子はなかったし、彼女の口から聞かされた身内の話は亡くなった祖母のことだけで、どうやらたった一人であの場所にいるらしいことは確かだ。身内が誰もいないのだから、自分の身一つで生きていかなければならないのは、当然と言えば当然である。
今まで彼女のほんわかとした空気に惑わされていたが、実は意外としっかりした子なのかもしれないと、アデルは少し考えを改めた。

丘を下り終えると、目の前に現れるのは紅葉葉楓が並んだ広場。季節柄、緑色の独特な形をした花が咲き乱れているその下を通り抜けて町の中心を通る大通りへと入る。
「!」
入ってから、アデルは不思議な感覚に陥った。先程、自分が岬ヘと向かう時にも同じようにこの道を通って来たはずなのに、町の雰囲気が変わっている。
まるで別の場所に来たようなこの違和感の正体は、どうやらアデルが丘陵地を途中まで登り、再び折り返してくるまでの僅かな間に、町の人々が活動を始めたかららしい。
立ち並ぶ店が開店の用意をし、人通りがほんの少し増えただけで、これ程までに賑やかになるものなのか。辺りを見回すアデルへ、先を歩いていたリリスが声を掛けた。

「アデルさん!こっちですよ!」

視線を呼ばれた方向へ動かせば、いつのまにかリリスは水色と白のストライプ柄のテントの下に入って手招きをしていた。店はどうやら今し方開店したばかりで、店主がまだ店先のテントを張っている最中だ。人の良さそうな笑顔の店主は、横に大きな体つきをしている。
「いらっしゃい。今日は、筍とアスパラが入ってるよ。」
「うわぁ。綺麗な緑色ですね。」
アデルはなんとも言えない表情で、同じようにテントの下に入った。店先には、向かって左側に野菜。右側には果物が、所狭しと並べられている。
こんな時、一体自分はどんな顔で待っていればいいのだろうか。居心地悪そうに佇むアデルに、店主は不審そうな目を向けた。
「あんたも、何か買ってくかい?」
「あ、いや、俺は彼女の連れで・・・。」
そうアデルが告げると同時に、店主は目を丸くする。
それを見て、「連れ」という表現がそれ程適切なものではなかったのかもしれないと、アデルは別の言葉を頭の中で検索し始めたのだが、良い表現が見つかるより前に、目の前の店主は驚きと嬉しさが入り交じったような表情になった。

「こりゃ驚いた!リリスちゃんに、こんな恋人がいたとは・・・!」

店主のその言葉に、アデルは瞬間、言葉を発することも出来ずに固まる。
恋人。
その言葉の意味するところに頭が行き着いた時には、店の店主は「そうかそうか。」と一人で勝手に納得し、アデルの姿を上から下までじっと観察しているところだった。
「ち、違いますっ;俺は、彼女の恋人とかではなくて・・;;」
「アデルさんは、私のお客様です。」
アデルの言葉の上から被せるように、リリスははっきりと店主にそう告げていた。逆に、一人で慌てていたアデルは、あまりにあっさり返した自分の目の前にいる小さな後ろ頭に驚いて、再び固まる。
リリスのその声は、慌てても照れても怒ってもいなくて、寧ろクスクスというような小さな笑いを含みながらのものだった。
「おや、そうだったのかい?私はてっきり、リリスちゃんにもとうとうそういう時が来たのかと・・・。」
「サムさんは、この前もそう言って、道を通りがかっただけのダンさんを困らせていましたよね。」
クスクス笑いでリリスに言われて、サムと呼ばれた店主は困ったように「どうだったかな・・」などと言いながら頭を掻く。どうやらこのやり取り、日常茶飯事らしい。
リリスは明るい笑顔のまま、アスパラを数本と林檎を4つ買ってその店を後にした。

道に出て歩きながらも、リリスの小さな笑いは絶えない。
「・・・何が、そんなに可笑しいんだ。」
変に慌ててしまった手前、強い態度には出られないが、流石に隣りでずっとクスクス笑いをされていたのでは気になってしまう。アデルの怪訝そうな視線に、リリスはやはり笑いを堪えるような仕草で口元に手を持ってくると、肩を振るわせながらアデルの顔を見上げた。
「すみません。あの、アデルさんがあまりにも動揺しているのが可笑しくて・・//」
「・・・・。」
そう言われてしまえば、返す言葉もない。実際、あの時のアデルがかなり動揺していたことは、隠しようのない事実だ。それを分かっているから、アデルもここで変に言い返すことはしなかった。それこそ、また笑われる種にされてしまう。
「サムさんの言うことは、気にしないで下さい。いつもあんな風なんです。」
「・・・・気にしてない。」
静かに返したつもりだったが、リリスはその返事にまた小さく肩を振るわせた。

通りを歩いていると、様々な人間がリリスに声を掛けてくる。
簡単な挨拶をしてくる者を始め、挨拶がてら天気の話や庭の様子を訊ねたりと、軽い会話を交わす者。中にはリリスと言葉を交わしながらも、半歩遅れて彼女について歩くアデルの存在を気に掛けて、チラチラと視線を投げ掛ける者もいたが、それに気がついていないのか、リリスはアデルについて何も言いはしなかった。なので、アデルもなんでもない顔をしてただ後に続く。
2件目の魚屋の前へ行くと、今度は先程の店と違い、背の高いひょろりとした体格の男が店先で二人を出迎えた。

「やぁ、リリスちゃん。今日は、季節外れの鮭が入っててね。お勧めだよ。」
リリスの方へ笑顔を向けながらそう言うと、店主は背後にいるアデルへと視線を転じた。
何者なのか問いたそうにしているその視線を受けて、アデルは有らぬ誤解を生む前に答える。
「俺は、彼女の客人だ。」
「客?」
ポカンとした表情の男は、その答えの正否を問うように再びリリスに視線を向ける。リリスはそれにクスリと笑いながら「はい。」と答え、季節外れのお勧めを二切れ買っていった。


「あ、アデルさん、少し待っていて下さい。」

彼女の本日の買い物である野菜と果物とお魚を買ったのだから、あとはマグネットだかマグダレンだかの所にレースを届ければ終わりなのではなかったか。
大通りから細い脇道へと入って少しすると、リリスは四角い小窓のついた扉を押し開けて小さな店の中に入っていく。扉の両側には大きな正方形の窓があるが、表面に凹凸がついたデザインガラスになっているため、中の様子はボンヤリとしか掴めない。外に掛かっていたプレートに描かれている絵を見てやっと、そこがどうやら本屋らしいことが分かった。プレートには、書物が開いた形で描かれている。
言われた通り店の外で暫く待っていれば、リリスはものの数分で店の中から出てきた。手には、それほど厚みのない本が握られていて、それを手にしながらリリスは心なしか浮かれたような表情をしている。

「何か、買ったのか?」
何かというか、それが本であることは間違いないのだが、いちおう気になったので訊ねると、リリスは腕の中に抱えていたその薄い冊子の表紙をアデルの前に出して見せた。
「はい!もしかしたらと思って覗いてみたのですが、新しい絵本が入っていたので、買ってしまいました!」
差し出された本の表紙には、下着姿で頭に王冠を乗せた男が、いかにも偉そうに威張っている絵が描かれている。そのイラストと本の題名を目でなぞって、アデルは首を傾げた。
「“はだかの王さま”?」
「そうです!話自体は昔からあるものですが、今日買ったのはまた別の人が絵を描いたもので・・・・・って、あれ?アデルさん、この話を知らないんですか?」
問われて、アデルは正直に頭を縦に振った。
それを見るとリリスは、「結構有名なんですけど。」と驚いたように手にしていた本とアデルの顔を交互に見る。それから少しの間本の表紙をじっと見つめていたかと思うと、にっこりと顔を上げて、アデルを見上げた。

「それじゃあ、私がお話します。」

小道を更に奥へと進みながら、リリスは「はだかの王さま」の話を始めた。
歩きながら子供向けの童話を語って聞かせるリリスに、道行く人が不審に思っているのではないかと懸念しながら、アデルは物語に耳を傾ける。
話が進んでいくうちに、気がつけばいつの間にか「それは嘘だろう。」「普通は、外に出た時に気がつくだろう。」などとアデルは物語に対して言葉を挟んだりしていた。そんなアデルに対して、リリスは苦笑しながら「そういう話なんです。」と返す。


リリスが物語を語り終わる頃には、次の目的地であるレースの店に着いていた。
店は今まで見てきた他のものと比べると随分小さな家屋で、右側を大きな窓が占めており、その窓の下には植木鉢などがおける花台がついている。端の方に小さなプランターが一つだけ置いてあった。しかし、一番目を引くのは窓全面に掛けられた飾りレースだ。使われているガラス自体は普通の窓ガラスなのだが、店の内側からは様々な形をした大小沢山のレースが飾り付けられていた。その隙間から中の様子を覗き見れば、同じように店内全体がレースに囲まれているようだった。
左側にある上部が丸みを帯びた扉にリリスが手を掛けて押し開くと、カランカランと乾いたベルの音が鳴り響く。開いた扉の隙間からふんわりと香るのは、ラベンダーの香り。

「マルグリッドさん!」

リリスが入っていくのに続いて戸を潜ると、店内に充満していた芳香が一気に鼻の奥に入り込んできて、その匂いに、アデルは一瞬顔を顰めた。慣れない強い匂いは、どんなに良い香りだとしてもきつく感じるものだ。
香りの方に気を取られていたアデルは、先に店の奥へと入っていったリリスの背中を追ってゆっくりと視線を動かした。それが彼女の背中に到達するのとほぼ同時に、彼女が先程発した呼び掛けへの返答が耳に届く。

「いらっしゃい、リリスちゃん。あら、今日は誰か一緒なの?」

絹糸をゆっくりと引き絞るような柔和な声色。
その声だけで、相手が老齢の女性であることが分かる。しかしアデルが気になったのは、そこではなかった。
(この声は、どこかで・・・・?)
細い記憶の糸を辿りながら、リリスの背中の先にある人物の顔へと視線を動かしていく。そしてその姿を両目が捉えた瞬間、アデルは思わず「あ・・。」と声を漏らしていた。

「あら、あなたは確か・・・・。」

レースまみれの店の中に置かれた明るい色合いのロッキングチェアに深く腰掛け、手元に編みかけのレースを持ってこちらを見ているその老婆は、紛れもなく、アデルがラントへ向かう乗合馬車の中で乗り合わせたあの老婆だった。小さく開かれたアデルの口は、何と言っていいものかと上手い言葉も見つけられずに上下に揺れる。そんなアデルと、「まぁまぁ。」と言いながら驚いている様子のマルグリッドとの間で、リリスは不思議そうに二人の顔を見つめた。

「あなた、リリスちゃんの知り合いだったのね。」
「いや、えっと・・・あの・・・・;;」
慌てるアデルの口から何かしらの言葉と呼べるものが出てくる前に、リリスがマルグリッドの方を向いて訊ねる。
「お二人は、お知り合いなんですか?」
「えぇ。ついこの間、馬車でご一緒したのよ。その時に、彼のお祖父さんのお話を伺って・・・。そういえば、お祖父さんの知人の方にはお会いになれたのかしら?」
すっかりあの時の話を信じ込んでいるらしく、老婆は心配そうな顔でアデルを見た。リリスは「お祖父さん?知人?」と首を傾げている。

「あの、アデルさんはお仕事でこちらに・・・・ふぐっ!?」
「えぇ、まぁ、色々とありまして;;;」
尋常ではないスピードで素早くリリスの口を手で塞ぐと、アデルは早口にそう答えた。
マルグリッドは、「何か問題が?」とこれまた真摯に訊ねてくる。
「えっと、それがですね・・・;;」
「ふぁへふふぁんっ?」
自分のすぐ下では、リリスがいきなりのことにどうしたのかと目を瞬かせながら、アデルを見上げていた。
リリスに話を聞かれてしまうこの状況で、一体なんと言って切り返そうかと思案していたアデルの背後から、突如カランカランと扉についていたベルの音が鳴る。

「こんにちはぁ!」
「!あら、いらっしゃい。」

店の扉を開けて中に入ってきたのは、小さな女の子。年は恐らく、5歳前後だ。
それ程長くはない髪をきゅっと小さく二つに結んでいるその少女は、何かを買いに来たという風でもなく、マルグリッドの反応からするとどうやらここの常連らしい。
少女は、入ってすぐに目に入った見慣れない男の姿に驚いたようだったが、すぐに一緒にいるリリスの姿を見つけると、一気に表情を明るくした。
「あ、おねえちゃん!」
「!エミリーちゃん!」
いつの間にか緩んでいたらしいアデルの手を逃れて、リリスは少女のもとへと駆け寄る。少女は嬉しそうに、目線を合わせてしゃがみ込んだリリスの胸へと飛び込んだ。
そこまでの一連の流れをアデルは思わずポカンとしたまま見つめていて、そんなアデルに背後からマルグリッドの声が掛かる。

「あの子は、よくここに遊びに来るのよ。それで、リリスちゃんとも仲良くなってね。」
「はぁ・・・。」
なんと返答していいから分からず曖昧に頷けば、マルグリッドはじっとアデルの顔を見つめていた。その視線が、暗に先程の話の続きを促しているらしいことを悟ると、アデルは内心大きな溜め息を吐きながら、リリスが聞いていない今のうちなら大丈夫だろうと、重い口を開く。今こそ、祖父思いの優しい青年になりきる時だ。

「実は・・その知人からの古い手紙の住所を頼りに、あの時あなたから教えて頂いた魔女の岬へと行ったのですが、残念なことに、もう、その知人の方もお亡くなりになっていて・・・。今では、あそこに住んでいるのは彼女だけだということが分かったんです。」
アデルは、あの時と同じように寂しげな微笑を浮かべてみせる。
リリスの祖母が亡くなっているのは、恐らくこの町の人間ならば知り得ている事実であるし、祖父の古い知人ならば、当然同じように歳をとっているだろう。これはかなり信憑性が高い嘘のはず。不謹慎ながら、彼女に祖母がいたこととその祖母が亡くなって今はいないことを、アデルは心の奥底で感謝した。当事者がいなくなっていた方が、この嘘がバレる心配がなくなる。
「まぁ!それじゃあ、あなたのお祖父さんの古い知人というのは、リリスちゃんのお祖母さんのことだったのね。」
驚いて口元に手を当てているマルグリッドに、アデルは「そういうことになりますね。」と答えながら、そうだったらびっくりだと心の中で考えていた。
ふと視線をリリスの方に向ければ、いつの間にか先程買っていた絵本を少女に読み聞かせている。店の隅に置いてあった丸い座面の小さな椅子に腰を降ろし、膝の上に少女を乗せていた。優しく語り聞かせるように絵本の文面を読み上げるリリスの腕の中で、少女は瞳を輝かせながらじっと絵本の世界を見つめている。

「あの子はね、孤児院で暮らしているのよ。」
「え・・・?」
突然掛けられた声に驚いて、アデルはマルグリッドを振り返った。彼女は優しい聖母のような表情を浮かべてリリスたちのことを見つめている。
「戦争孤児でね。この国は基本的には争いを好まない国だから、平和な国ではあるのだけれど、戦争ってものは片方の国だけがしたくないからって止められるものじゃないでしょう。・・・3年程前に起こった隣国との小さな争いで、エミリーちゃんの両親はどちらも亡くなってしまったの。まぁ、そうは言ってもあの子はその当時1、2歳だったから、両親の顔を思えていないかもしれないけれど。それでも、孤児院にずっといるのが嫌なのか、こうやってお店に遊びにくるのよ。」
「・・・・。」
マルグリッドの表情はそう語りながらも温かく、向けられた瞳はとても穏やかな色をしていた。頬を紅潮させながら物語に聞き入るエミリーは、その姿を見ているだけで、リリスのことを実の姉のように慕っているということが分かる。家族のいないリリスもまた、その少女を実の妹のように可愛がっているのだろう。

「あの・・・リリスの両親も、戦争で・・?」
聞いてはいけない質問かもしれないと思いながら、アデルは恐る恐るマルグリッドに訊ねた。マルグリッドは一度大きく目を見開いて、それから破顔すると、穏やかな表情で息を吐く。
「さぁ・・・どうなのかしらねぇ・・。」
「え、どうって・・・;;」
「あの子はね、森の子供なのよ。」
フフフと口元を緩ませて、マルグリッドは内緒話でも聞かせるように語った。
「リリスちゃんは、森の中で見つけられたの。森の中で一番古い大木の根本でね、生まれたばかりの赤ん坊が薄布一枚にくるまれて泣きじゃくっていたのを、ブラウンさんが見つけてきたのよ。」
ブラウンとは、リリスの名字だったはずだ。とすると、恐らくそのブラウンさんというのは、彼女が祖母だと語っていた人物のことなのだろう。
「彼女の身に纏っていた布には、刺繍で“Lillith”とだけ刻まれていたそうよ。それで拾ってきたブラウンさんが“この子は森の子だ”って言ってね。刺繍に刻まれていた文字をそのままあの子の名前にして、自分の子供として育てたのよ。」
「そう、なんですか・・・。」
いくら森の中で見つかったからといっても、名前の刺繍まで施された布でくるまれていたのなら、それはやはり彼女の母親か誰かが彼女をそこへ置いていったと考えるのが自然だろう。それが、一体如何なる理由によるものだったのかは分からない。
それでも、リリスを育てたブラウンという女性には、きっとそんなことは些細な問題だったに違いなかった。現にリリスが祖母を語る時の表情は、いつだって幸せそうだ。リリスが“祖母”と表すところをみると、自分の子供として育てるにはあまりに歳を取り過ぎていたため、自身を祖母だと彼女に教えていたのかもしれない。

「それにね・・・」

マルグリッドは楽しそうに微笑んで、内緒話の続きを話した。
「彼女の家族は、亡くなってなんかいないのよ。」
「え?」
驚くアデルの顔を見ながら、マルグリッドは自分の方を指さしてまたフフフと笑う。
「私も、あの子の家族なの。私だけじゃないわ。この町の人みんなが、あの子の家族。だからね、あの子に何かあると町の住人みんなが心配するのよ。・・・・ここまで来る間に、何か色々と言われたのではない?」
「!」
アデルは、この店に辿り着くまでに会った様々な人の顔を思い出して、はっとした。
アデルのことを恋人なのではないかと慌てた八百屋の主人。リリスと会話をしながら、不審そうな目でアデルを見ていた人々。そう考えると、自分一人で通った時よりも、リリスと二人で通った時の方が人の賑わいを感じたことも、もしかしたら、時間の経過だけがその原因ではないのかもしれなかった。
町の住人みんなが、リリスに温かい視線を投げかける。それを自分も感じていたのかもしれない。
アデルの表情を見て、自分の考えが的中したことを確信したのか、マルグリッドは柔らかな声を店内に響かせて笑った。




「それじゃあ、マルグリッドさん。また来週、伺いますね。」

リリスはそう言いながら、手を振って店を出て行く。マルグリッドは膝の上にエミリーを乗せてレースの続きを編みながら、穏やかに微笑んでいた。
カランカランとベルが鳴る。扉が閉まるのと同時に、リリスはアデルの顔を仰ぎ見た。
「えっと、私の用事は終わりましたけど、アデルさんはこれからどうしますか?」
「俺は・・・・」
時刻は丁度お昼時。このまま彼女について魔女の岬に行き、また昼食を一緒にすることも出来るが、今日はなんだか、これ以上彼女に付きまとうような気にもなれなかった。

「今日は、もう宿に戻ることにする。」

そう答えると、リリスは「そうですか。」と返しながら、手にしていたバスケットの中を漁った。そして、先程買っていた林檎の一つを手に取ると、それをアデルの前に差し出す。
「これ、本当はこの後アデルさんがまたうちにいらしてくれるようなら、一緒に食べようと思っていたんですけど。」
「どうぞ。」と言われて、アデルは思わずそれを受け取っていた。呆然とした顔でリリスを見る。また今日も当然のように岬に行くと思っていたのかとか、そんな簡単に毎日男を家に招くのは女性の一人暮らしとしてはどうなんだとか、色々なことが頭の中を駆け巡ったが、それらがアデルの口から言葉として出てくることはなかった。
そんなアデルを横目に、リリスは軽快なリズムでステップを踏みながら来た道を駆けていく。

「それじゃあ、アデルさん!また、明日!」

遠ざかるリリスを見送りながら、アデルは一人、手中にある林檎の重さを感じていた。これはきっと、果汁がたっぷり詰まった美味しいものに違いない。
「“また、明日”か・・・・俺は別に、遊びに来ているわけじゃないんだが・・・。」
そう呟きながら、アデルの口元は自然と緩んでいた。
あのスピードなら、きっとまた、彼女はどこかで転けるに違いない。それを想像すると、更に口元の笑みが広がる。
宿に戻ったら、奥さんに林檎を剥いて貰おう。


To be continued….

 

No.329|GardenComment(0)Trackback

『Garden』-第一章:魔女の岬に住む少女③-

2010/02/11(Thu)00:06


「あ、アデルさんこんにちは。」

リリスは朗らかに微笑んだ。
その笑顔に、アデルは思わず気が抜けるような感覚に陥る。自分の判断が間違っていたのではないかと、考えてはいけない考えが頭の中を掠めた。


「・・・何を、しているんだ?」
家を囲む背の低い石垣の外側から庭の中を覗く。
リリスは一日前と同じような服装に身を包み、ブリキでできた如雨露を手に庭に出ていた。アデルは質問をしてから、その姿を見れば一目瞭然だなと、それが愚問だったことに気づいたが、それでもリリスは質問をされたことが嬉しいのか笑顔を崩さないまま答えを返す。
「お庭の植物たちに水をやっています。ほら見て下さい。秋に蒔いたカモミールが、もうこんなに育っているんです。花も咲いて、そろそろ収穫時ですね。そうだ!今度はカモミールティーでも、ご一緒にいかがですか?」
「え、あ、あぁ・・;」
まさか自分の聞いたことに対して、そこまでまともに反応されるとは思っていなかった上に、お茶に誘われるなどとは微塵も考えていなかったため、アデルの口から出た返事は宙に浮いたようなものになる。
本当に、この少女は何を考えているのか分からない。
どうぞと言って自分を庭の方に招き入れた手に誘導されるように、アデルは手前にある小さな門を静かに押し開けた。


国から命ぜられた極秘任務を抱えて訪れた魔女の家。そこに住んでいたのは、まだ年端もいかないような少女が唯一人。
彼女の話を聞いて一度は任務失敗かと諦めかけたが、彼女が纏う不思議な雰囲気に賭けて、アデルはもう少し様子をみてみることにした。ここに来た理由についてはちょっとした仕事だとしか言わなかったのだが、リリスはとりわけ気にする様子もない。それどころか、しばらくここにいるのなら自分の家に泊まっていくのはどうか、などと提案してくる始末。
警戒心も、ここまで薄いと逆に心配になってくる。
流石に娘が一人で暮らしている家に、男が泊まるのは道徳的によくないだろうと言って断った。別に紳士を気取るわけじゃないが、これは十分常識の範囲だ。本当を言うと、理由の半分は、自分が眠っている間に魔女に襲われたらどうしようか。などと考えていたからだったりもするが、そこは秘密だ。
その日は街の方に行って宿を取り、一晩明けて今に至る。


庭へ足を踏み入れてリリスのいる所へと向かえば、今度は屈み込んで土いじりを始めていた。小さな家を取り囲むように自然が溢れる庭。門から家まで続く小道が綺麗に庭を二部し、その丁度右側の庭には、一件無秩序なようにも見える形で季節の花々が咲き乱れる中、一角には他とハッキリ区切られた小さな畑がある。
アデルはリリスの手元を覗き込んだ。ブリキの如雨露を傍らに置き、しゃがみ込んで柔らかに平された土を、これもまたブリキ造りの小さな水色スコップで掘り起こしている。ある程度掘り起こすと、その穴の中に植物の苗を植え始めた。
「これは?」
まだ花も実もつけていない背の低い植物。優しく根を包むように上から土をかけ、リリスはにっこりとアデルの方を仰ぎ見た。
「トマトの苗です。これが大きく育つと、夏にはおいしい実をつけてくれます。生のままサンドウィッチにしても美味しいですし、潰して煮込めばソースにもなります。トマトスープも身体が温まって素敵ですね。」
そう言って再び土の方に向き直ると、すでに植えた苗の隣りにもまた別の穴を掘り始める。彼女の背後には、植えられるのを待っている苗たちがまだ幾つか置かれていた。

「・・・・。」

サクサクと、土とスコップが奏でる平和でなんとも長閑な音が流れる。
激しい手持ちぶさた感に、アデルはどうしたものかと思わず太陽を振り仰いだ。燦々と照る太陽は、それでもまだ夏のような強さはなく、薄ぼやけた輪郭で春の仄温かさを地上へと投げかけていた。
しばらく傍で彼女の様子を見る。そう決めたものの、具体的にどうこうするでもないし、ストーカーのように四六時中離れた場所で見張っている気もない。だからこそ、出会ってから一夜明けた今日、とりあえず様子を見に、泊まった宿から再びこの家へと赴いているのだが・・・。

(さて、どうしたものか・・・。)

当のリリスは、相変わらず薄茶色の髪を朝の陽光に煌めかせながら、せっせと庭仕事を続けている。
基本的に任務としては、魔女の岬に住む魔女に会い、彼女の力を確かめ、それから次の段階にいく。目的地に辿りついて“魔女”と、そう呼ばれている人間には会うことが出来たが、彼女の力の有無を確かめるという段階で想定外の自体が起きてしまった今、自分でここに留まることを決断したとは言え、アデルとしては、正直どうしていいのか分からずにいた。
日がな一日、こうして突っ立っているというのも間抜けな話だ。

何かすることはないだろうかとアデルが周りに目を向けると、今まで土の方ばかり向いていたリリスの瞳が、自分の方に向いていることに気がついた。そのまま、彼女はアデルの双眼をじっと食い入るように見つめる。
「・・な、なんだ・・・?;;」
滞った空気に堪えきれずにアデルが言うと、彼女はぽんっと軽く手を打つ仕草をして、「アデルさんも、一緒にやりませんか?」と笑いかけた。
「何を?」と聞きかけて、それもまた愚問だと喉の奥に押しやっている時には、リリスはそそくさと別のスコップを取りに向かっていた。意外と行動力のある少女だ。
「はい、どうぞ。」
そう言ってスコップを差し出されてしまえば、否とは言えなかった。

「すみません。私、気がつかなくて。私が一人で作業をしていたら、アデルさんがお暇になってしまいますよね。」
「いや、それは別に、構わないんだが・・・・。」
そう答えながら、アデルは彼女が今まで植えた苗と同じくらいの間隔で苗を植えるための穴を掘っている。作業に邪魔なシャツの袖をたくし上げ、良い天気の下、しゃがみ込んで土に向かう彼を、一体誰が軍人であると思うだろう。
リリスに手渡された苗を受け取って、そっと土の中へと植え付けながら、思わず任務を忘れそうになる己の頭を叱責する。お前はガーデンハート国国軍少佐、アデル・ガーランド。これもまた任務遂行のためだ。と、何度も己に言い聞かせるが、それすら何か虚しい行為のように思えてくるのだから悲しい。
リリスの手伝いを始めてから3本目の苗を植えたところで、アデルはふとスコップを持つ手を止めた。

(そうだ。これは任務だ。彼女と言葉を交わしたのは昨日が初めて。初対面の人間に対して、初めからなんでもべらべらとしゃべる人間など、まずいない。彼女が嘘をついているようには見えないが、話していないことならまだあるはずだ。)

ただ彼女に付き合って土いじりをしていたのでは意味がない。アデルは途端にやる気を取り戻し、手を動かしながらもリリスに話し掛けてみようと試みる。
「リリス、君は昨日薬草を使って薬を作っていると言っていたが、その薬を作るのに、その・・・何かコツ、のようなものはあるのか?」
我ながらおかしな質問だと言うことは重々承知の上だ。アデルは言ってしまってから、キョトンとした顔で自分を見ているリリスの視線に、居たたまれない気持ちになっていた。
「コツ・・・ですか?」
リリスは軽く首を傾げながら、なにやら真剣に考え込んでいる。こんな質問にそこまで真剣に考えてもらっても、アデルにとっては逆に恥ずかしさを増す要因にしかならない。これではまるで、これから家庭内菜園を行おうという初心者が、先輩園芸家に指導を乞うているようではないか。スコップを持ち、今正に家庭内菜園の手伝いをしている身では、それを否定するような力は、残念ながらないに等しかった。
しばらくの考慮時間があった後、リリスは質問への答えを返す。
「そうですね。昨日も言ったと思いますが、特にこれといって特別なことはしていません。ただ、出来上がった薬が使った人の身体によく効きますようにと、心を込めて作っているというのが、強いて言えば“コツ”になるのかもしれませんね。」
「そ、そうか・・・。」
優しく、微笑みすら浮かべながら丁寧に質問に答えてもらい、アデルの居たたまれなさはピークに達する勢いだ。そんなアデルの気を知ってか知らずか、リリスは更に話を広げて答えてくれる。

「後は薬草ですが、使っている薬草はこの庭で採れたものの他にも、森の中に生えている野生のものも使ったりします。ここにはない種もありますから。」
「森?」
聞き返せば、リリスはスッと右手の人差し指を石垣の向こう側へと向けた。
「街へ向かう広い道からこの家まで来る間に通ってくる、あの森のことです。」
差された方向には、この家から真っ直ぐ伸びた飴色の道が続く鬱蒼とした森。確かに、アデルもあの森の中の道とも呼べないような道を通ってここまで来たのだ。
街まで続く広い道とこの岬を隔てる森には、役目を果たしているのか怪しい道が一本通ってはいたが、あの道を通ってきた者としては、酷く心許ない道に、一歩間違えば迷ってしまいそうな深い森であったというイメージが強い。黒々と生い茂った木々は、皆一様に太陽の光を奪い合うかのように葉を広げ、重なり合い、その下も木の表面をびっしりと覆う苔や絡み付く蔓の所為で、一面が濃い緑色をしていた。誰も手入れなどしてはいないだろうそこは、足下にある獣道のような草木が軽く折れた程度の道を見失ったら最後、もう出口へは辿り着けないのではないかとさえ思えた。少なくとも、出来ることならばなるべく通りたくはない場所である。
そのためアデルは、街へ向かう別の道をわざわざリリスから聞き出したくらいだ。実はあの森は街の方まで横長に続いているのだが、街へ続く道と岬を隔てているだけで、街から岬へは森を通らずとも簡単に行き来が出来るのだった。
軍の野外訓練地で訓練を受けたアデルでさえ、そんな風に思い、畏怖を感じる森。そこにリリスは、一人で薬草を採りに入り込むという。
本当なのだろうかと、ついつい疑って掛かってしまっても無理はない。

(やはり、この子には何か不思議な力が・・・・)

アデルは訝しげな表情で、じっとリリスの横顔を見つめた。
するとリリスは、その視線をどう受け取ったのか。また優しい微笑みを乗せた表情で、アデルのそれに自分の視線を合わせる。
「自然の恵みには、不思議な力があります。生命の源。生きようという生へのエネルギーが、自然のものには宿っている・・・だから私たちは、心や身体の調子が良くない時なんかに、植物や動物からその生命エネルギーを分けて貰うんです。」
「生命エネルギー・・・?」
聞き慣れない言葉に、アデルは自然と聞き返していた。動植物から、生きるためのエネルギーを分けて貰っている。そんなことは、今まで考えたこともなかったのだ。
リリスは、不思議そうな顔をしているアデルに向かって力強く頷いてみせる。
「はい。薬草を摘んで、それをお薬にする作業はもちろん私がやっていることですが、それはただその薬草の持つ生命エネルギーを人間が取り入れやすい形に変えているだけであって、根本はその薬草の力です。だから私は、薬を作る時に特別なことなんてしません。想いを込めるだけで十分なんです。」
風が、緩やかに2人の間を流れていった。作業中に跳ねた土の所為か、薄く汚れたリリスの顔は、どこか頼もしささえ感じる。少しの違和感もなく、リリスの言った言葉達が胸の中に浸透していき、彼女の言ったことはきっと本当なのだろうと、いつの間にか納得している自分に気がついて、アデルは何か魔法にでもかけられたような気分になった。

真っ直ぐな視線が眩しくて、気づけばリリスから視線を手元の土へと戻していた。
「そ、そういえば、俺がここへ来たときもあの森から出てきたな。あの時は、どうしていきなりぶつかってきたんだ?」
気まずい空気を払拭しようと、思わず話題を変える。実はずっと聞きたくて、あれがわざとだったらどうしようかと聞けずにいた質問だった。アデルは質問をしながら、いそいそと手元の作業を再開していたのだが、すぐに返ってくると思っていた質問への答えはなかなか返ってこない。
気になって再び隣りを見ると、赤い顔をしたリリスが植え終わった苗を見つめてじっと固まっている。
「・・・どうした?」
「・・あの・・・笑わないで下さい//」
「?」
ぼそりとそう呟いて、リリスは答えた。
「あの時、家へ帰ろうと思ったら、いつもの出口が暗くなっていたので出口が塞がってしまったんじゃないかと心配したんです。それで慌てて、いつもの出口まで走って行って・・・・」
そうしたら、見事出口の直前で躓き、そこに立っていたアデルの背中に激突したのだという。
アデルはポカンとしたまま、リリスの言葉を聞いていた。
「あの、すみません!まさか、暗かったのがあそこにアデルさんが立っていたからだとは気づかずに、勝手に勘違いしてしまって;;その・・・・決して、わざとぶつかろうと思ったわけでは・・;;」
恥ずかしそうに頬を染めながら、必死になって弁明を試みるリリスの懸命な姿に、知らずアデルの口角は上がっていた。あの時、自分があんなところで立ち止まっていたことが、彼女を驚かせてしまったのかと少々申し訳なく思う反面、それでもわざわざ走る必要はなかっただろうし、その上何もタイミング良く出口直前で躓かなくてもいいだろうとも思う。それも、大の男を一人倒れさせることが出来るような物凄い勢いで。
「・・くっ・///」
「わ、笑わないで下さい!//;;」
アデルは、最初にこの少女に会ったときに自分が抱いていた考えすら可笑しくて、益々もって頬を緩めた。相手が魔女だと思って、緊張していた自分が馬鹿らしい。相手の方に敵意も何もない上に、躓いたことすら彼女の意識の範囲外のことだったのだから、いきなり背後に人が現れたことに自分が気づかなかったのも仕方がない。
しばらくの間、静かに笑い続けるアデルに、リリスは困ったような顔をしながら残りの苗を植えていた。


「よし、これで最後だな。」
トマトの苗を全て植え終えて、二人は充足感に充ちた顔で立ち上がる。いつの間にか真剣に作業を手伝っていた己を、これは彼女の作り出す不思議な雰囲気の所為だということにして、もう咎めることはしなかった。
「はい。アデルさんのおかげで、作業が捗りました。ありがとうございます。」
リリスの紅茶色の瞳が、一際キラキラと輝いていた。
低い姿勢から立ち上がって、改めて辺りを見回してみると、この場所は本当に美しい場所であると再確認させられる。アデルは己がその庭の中の一部になってしまったような気さえした。ここに漂っている空気は色彩鮮やかで甘く、どことなく懐かしい。
アデルが目を細めながら黙って佇んでいると、いつの間にかリリスが隣りに並んで立っていた。すぅはぁと、大きく深呼吸をする姿は、まるでこの場所の空気に馴染んでしまおうとするようだ。そして、アデルと同じように庭を眺める。
「・・・凄く素敵ですよね、このお庭。私のお気に入りなんです。」
「祖母のものだと言っていたな。」
「はい。今は私がこうして手入れをしていますが、元々は全て祖母がやっていたことですし、私はそれを引き継いでやっているだけです。この庭をここまで造り上げた祖母は、本当に素敵な人だと思っています。」
この場所が懐かしく感じるのは、彼女の祖母の想いがこの庭に残っているからだろうか。
リリスの言葉の端々から、彼女の祖母に対する想いが伝わってくるようだった。

「私、夢があるんです。」

庭全体を見渡しながら、リリスは唐突にそう発した。
「・・夢?」
聞き返しながらアデルは彼女の方を向いたが、リリスの瞳はどこか遠くを見つめたまま動かない。その瞳は、いつか未来への希望を映しているのだろうか。陽光の加減で紅色や黄金色に煌めいて、時にそのどちらでもない不可思議な色合いで瞬くそれは、まるで空の果てを思わせる。
強く、それでいて柔和な輝きを持つその瞳を笑みで彩って、彼女は答えた。
「いつかこの庭に、薔薇の花を植えることです。」
「ばら?・・・というと、確かローズ国の国花だったな。」
ローズ国は、ここGardenに存在する18ヵ国のうちでも大国と言われる国の一つだ。
ここの国王は争いを好み、自身のことしか考えようとしない偏った考え方の持ち主で、莫大な土地を持つローズ国を手中に入れても尚、更なる権力を欲する欲深い人間だった。
ガーデンハート国が建国された当初、そのことに一番反発したのもこの国だ。
独占欲も強く、他国の技術を盗むが自国の技術は一切他国には渡さない姿勢を取っており、それはガーデンハート国が建国され、議会で物事を話し合う場が設けられても変わることはなかった。国花である薔薇も同じように、ローズ国が完全に独占し他国での栽培の一切を許してはいない。
ガーデンハート国建国以後に起きた主な戦争のその殆どが、この国主導の下起きたものだった。

アデルはふと頭の中を過ぎる嫌な思い出を掻き消すように、すぅと柔らかな空気を肺の中に取り入れた。気持ちを落ち着けてから、ゆっくりと言葉を口にする。
「どうして・・・薔薇なんだ・・?」
「・・・祖母の、夢だったんです。」
リリスはほんの少し、瞳の奥に寂しさを漂わせた。しかしそれも、一瞬にして消えていく。
「ここには沢山の花が咲いています。各国の国花も全て揃っているんです。でも、薔薇の花は・・・・薔薇の花だけはありません。祖母は言っていました。いつか、この庭に薔薇の花が咲いたときには・・・その時には、世界は平和になるんだって・・・・。」
「・・・・。」
アデルは温かな春風を身体全体に受け止めながら、同じように風に揺れる花々を見た。
そうか、ここは世界なのか。と、自然とそう思っていた。この庭は世界。ここには、彼女の祖母が造ろうとした平和な世界が広がっているのだ。しかし、彼女がそれを造り上げることは叶わなかった。そして今、この幼い少女がそれを造り上げようとしている。

(この子が・・本当に、俺達の求めている魔女であれば・・・・)

気がつけば太陽は中天に昇っていて、そろそろお昼時になる頃だ。
辺りに立ち込めた寂しい空気を吹き飛ばすように、リリスはアデルに向かって、いつもの花のような笑顔を向けた。
「さ、そろそろお昼にしましょう。すぐに用意しますから、手を洗って待っていて下さい。」
そう言って彼女は、スコップと如雨露を片付けて足早に家の中へと入っていった。
言われてから初めて、アデルは自分の腹が空腹を訴えている事実に気がつく。いつのまにか、当然のように自分も一緒に昼食を食べることが決まっていて、それに突っ込む隙も与えないリリスの行動の速さに、彼は小さく苦笑を漏らした。

これでは完全に、相手のペースだ。
アデルは軽くズボンの裾についた泥を払い、両手を叩いてとりあえず目に見える汚れを払い終えると、きちんと手を洗うべく、リリスに続いて家の中に入っていった。


To be continued….

 

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『Garden』-第一章:魔女の岬に住む少女②-

2009/09/27(Sun)13:15


一瞬、それが何なのか分からなかった。

「すみません;;お怪我はありませんか?;」

回り過ぎた所為だか、思いっきり頭をぶつけた所為だか分からない視界の揺れが、徐々に戻っていく。
アデルは、自分の腹の上で心配そうに顔を覗き込んでくる相手の輪郭が、ブレなくくっきりと見えて初めて、目の前にいるのが薄茶色の得体の知れない怪物なんかではなく、一人の少女であることに気づいた。あまりの衝撃続きで、頭は未だ現状を把握しきれていない。
何故自分がこんな所で、どう見ても自分よりも歳は下であろう少女に馬乗りにされているのだろうかと、ぽかんと大きく口を開けたまま、目の前で揺れる、綺麗に切り揃えられた前髪を見つめた。

「あの、今凄い音がしたような気がしますが、どこか強くぶつけられたんじゃ・・っ;;」
「え?・・・・あ、いっ・!//」
「あぁ!う、動かないで下さい!!今、すぐに手当てしますからっ;;」

少女はアデルの腹の上から慌てて立ち上がると、背後にあった鉄門の片方を開けて、家の中へと駆けていった。
そこまでの一連の動作を目で追って、やっと、自分が極秘任務のために此処まで来たことや、丘の上で何者かに背後から襲われた(?)こと、そしてその襲ってきた人物が今家の中へ入っていった少女だったということを思い出す。

(家の中に入っていったということは・・・彼女が、この家の主なのか・・?)

それにしては、自分が思い描いていた人物と比べて随分と幼い。
魔女と聞いて、アデルが初めに想像したのは、もっと年老いた風格のある女性だった。まだ、この家に彼女以外の人間が住んでいないと決まったわけではないので、彼女がその人物であるという断定は出来ないが、もしそうだとしたら、自分の考えていた人物像から大きく外れるなと、どこか肩透かしを食らったような気分だ。


自分が先程転がり落ちてきた丘を見つめて、アデルは小さく溜め息を吐く。
それにしても、あの時丘の上で自分に見事体当たりをしてみせたのは、故意になのだろうか。軍人として、それなりの訓練を受けている身としては、まさかあんな少女が背後に近付いて来て、その上体当たりをされるまで気がつかなかったとは、不覚中の不覚だ。
なんだか唐突に、頭を抱えたくなるような気持ちになった。もちろんそれは、後頭部を強く打ち付けたためではない。
だが、と彼はもう少し違う可能性を考える。

彼女が例の魔女と呼ばれる人間だったとして、もしかしたら彼女は、自分の家に近付く不審な人物(この場合はアデルのことだ)を撃退しようとしたのかもしれない。あんな害のない少女の姿を装って、実はとんでもない力を持った人物なのだったとしたら・・・。軍人とはいえ、こちらは特殊能力など全く持ち合わせていないただの人間。その背後にそっと忍び寄ることなど、造作もないことだろう。
なにせ相手は、魔女なんて呼ばれるような相手なのだ。そう言う可能性がないとは限らない。
だがもし、仮にそうだったとして、自ら攻撃した相手と一緒に丘の上を転がり落ちる必要はあるだろうか。・・・・ない。
(いや、でもあれがもし素だとしたら、それは・・・・)
それは、ドジやおっちょこちょいで済むレベルではないのではないか。これも相手の作戦か?こちらを油断させておいて、後でじっくり若い男の生き血を・・・・。


アデルの考え事があらぬ方向へと向かい始めた頃、手当てをすると言って家の中に飛び込んでいった少女が、行きと同じく慌てた足取りで門の方へと戻ってきた。手には水で濡れた清潔そうなタオルが握られている。
彼女は、すぐにアデルの傍らにしゃがみ込むと、「打った場所はどこですか?」と尋ねてきた。その顔は真剣そのもので、今まであれこれと頭の中で考えていた疑い事が、まるで馬鹿みたいな気がしてくるほど、相手の姿勢は、それはそれは真摯なものだった。
少々呆気にとられつつ、アデルは無言で後頭部の打ち付けた部分に手を当てる。
少女は、持ってきた濡れタオルを患部に宛うと、真剣な表情のまま、更に訪ねた。

「痛みますか?」
「・・・少し。」
「出血はしていないみたいですけど・・・あの、直接触る以外で頭痛はありますか?あと、吐き気があるとか何か他に症状は?」
「いや、あとは大丈夫だと・・。」
そこまで聞くと、少女は途端に表情を崩しホッと息を吐いた。透き通った茶色の瞳が、安堵で優しく細められる。
「よかった。今のところ、こうして患部を冷やしておけば大丈夫だと思います。」
「あ、はぁ・・;」
相手の瞳があまりにも嬉しそうに自分に向けられるので、アデルは思わず少し身を引いた。
少女は患部に当てたタオルを押さえながら続ける。
「ただ、少しコブが出来てしまったみたいですね。しばらくは、触ると痛むかもしれません。」
「あの・・・;」
「あ、でも今日一日は安静ですよ?もしも何か異変があれば、丘の向こうのお医者さんの所に・・・・。」
「君っ・・;;」
「!はい?」
やっとのことで、流れるように続いていた少女の言葉を遮ることができた。目の前の少女は、わざわざ後ろを振り向いて丘の向こうを指していた指を下げると、キョトンとした表情でアデルの黒い双眼を覗く。そのあまりにも無防備な表情からは、流石に男の生き血を啜る姿は想像できなかった。

「えっと、君の名前は・・?」
「私の名前ですか?」
少女は大きな瞳を数回瞬かせると、にっこりとその両頬を綺麗に持ち上げ、花のような笑顔をみせる。

「リリス・ブラウンです。」

その笑顔と名前からも、彼女が魔女と呼ばれるような片鱗は見えなかった。





「どうぞ、そこの椅子に掛けて下さい。」

名を名乗り、この家に用があるのだと告げれば、リリスは簡単にアデルを家の中へと招き入れてくれた。
庭の中に入り、更に家まで伸びた小道を進んで行くと、目の前には小さな三段程の木の階段。それがまた、小柄な家の小さな戸口に続く。
戸から家の中に入った途端、ギシリと、軽く床が軋む音がした。その音に驚く間もなく、アデルは家の内部の様子に、また言葉もなく立ち止まった。

おとぎ話のような見た目の家は、やはり内部も古く、温かな造りをしていた。
入ってすぐ目に入るのは古い階段、上がり口がこちらを向いており、壁側ではない方にある黒塗りの鉄でできた手摺りの先が、くるりと蔓のように渦巻き型に装飾されている。その右隣り、少し奥の壁に暖炉。煤で大分黒ずんでいるが赤煉瓦造りのものだ。暖炉の上には写真立てや大きな飾り皿などが置いてある。しかし、彼の目を引いたのはその暖炉の前にあった糸車だ。
糸車で美しい姫を眠らせてしまうという、どこかで聞いたことのある魔女の物語。暖炉の前にやりかけの状態で置いてあるその姿を見ていると、あの話も強ち作り話ではないのかもしれない。

そんなことを考え、アデルがじっとその糸車と睨めっこをしていると、リリスから声が掛かった。入ってすぐ向かって右側にあった長方形の木のテーブルと四脚の椅子を見留、促されるままに手近な一脚に腰掛ける。リリスは何やら、戸棚やキッチンを慌ただしく行き来していた。
彼女の後ろ姿を見つめながら、アデルは再び考える。

褪せた赤紫色のワンピースに特に目立ったところのない白いシャツを下に重ね、またこれも代わり映えのしない膝丈より3㎝程短い白の靴下と黒い革靴。どう見ても、その辺にいる普通の少女だ。
油断は禁物だと思いながらも、この子が本当に魔女なのかと、ついつい怪しんで見てしまうのは致し方ない。
アデルは、後頭部に当てていた濡れタオルが温くなってきたのを感じて、静かに外した。それをテーブルの上に置きながら、後ろ姿の少女に話し掛ける。
自分は己に課せられた極秘任務のために、面倒な国境の警備を抜けて此処まで来たのだ。とにかく、任務を遂行することが先決。

「えっと、ブラウンさん。」
「あ、リリスでいいですよ。リリィと、愛称で呼んでもらっても構いません。」
パッと振り返り様にそう言われて、また、一瞬呆気にとられるが、そこはなんとか気を持ち直して言葉を続ける。
「それじゃあ・・・リリス。君は、此処に一人で?」
「はい。昔は祖母と一緒でしたが、今は祖母も他界してしまって、それ以来一人で暮らしています。」
ということは、やはり噂の魔女はこの子のことを指しているのだ。アデルは途端に、この任務の成功に対して大きな不安に駆られた。しかし、どうにかその気持ちを抑え込むと、己を奮い立たせるように心の中で念じる。
こんなところでへこたれていてどうする、アデル・ガーランド。まだ、任務失敗だと決まったわけじゃない。

「・・・そうか。じゃあ君が、“魔女”と呼ばれている人物・・だと思ってもいいのかな?」
コトンと、リリスは水を汲み入れたばかりの薬缶を焜炉の上に置いた。
一仕事終えたというように、ふぅっと小さく息を吐き、アデルの方へ振り向いて「魔女?」と小首を右へと傾げる。その腰には、いつの間に着けたのか、下に着ているワンピースよりも丈の短い前掛け型のエプロンが巻いてあり、それで軽く手の水を切りながらの台詞だ。
少し考えてから、リリスは思い出したように胸の前でぽんっと軽く手を打った。
「そういえば、私の祖母がそう呼ばれていた気がします。町の人達が、こんなことが出来るのは、うちの祖母だけだって。それで、彼女にはきっと不思議な力があるんじゃないかって言っていました。」
「こんなこと・・・・?」
「はい。・・・あ。」
そうだそうだと言いながら、リリスは戸棚から何やらお菓子の缶を取り出し始める。
話が突然途切れてしまい、焦れたアデルは、「こんなことと言うのは、なんなんだ?」と、もう一度聞き返した。リリスは再び戸棚の前で手を動かしながら、背中越しに言葉を返した。
「この岬に建っている、この家のことです。とっても素敵な庭に、とっても素敵なおうち。こんな素敵なものが作れる祖母は、きっと、素敵な力を持っているんだって。」
「・・・・。」
「今はもう祖母はいませんが、でも、みんなが素敵だって思ってくれて好きだって言ってくれたこの場所が、私も大好きだから・・・・。だから、祖母には及びませんが、今は私がこの場所を一生懸命守っているんです。」


ピーッ・・・・――――――!

焜炉の上で火に掛かっていた薬缶が、煙を上げて大きく高い音を鳴らす。
リリスは慌てて焜炉の傍へと駆け寄り、薬缶を焜炉の上から退かすと、そこからトプトプ何かにお湯を注いでいるらしい。彼女の脇から白く湯気が流れているのが見えた。
それからエプロンの結び目、リボン結びの部分を楽しそうにユラユラ揺らしながら、洒落た細工のティートレーを手に、アデルのいるテーブルまで近付いてきた。
カタンッと軽い音を立てて置かれたその上には、白くて丸い形状の陶器で出来たティーポットと野苺の絵柄の可愛らしいティーカップが同じ柄のソーサーの上に乗っている。更にもう一枚同様の柄があしらわれた、カップの乗っているものよりも一回り程サイズの大きい皿の上に、中央に赤いジャムが入れられている厚めのクッキーが二つずつ並んでいた。

リリスはそれらをアデルと自分の手前にそれぞれ置いていきながら、にこにこと嬉しそうな笑顔を向けた。

「突然だったので、お菓子とかあまりちゃんとしたものは用意できなかったのですが。」
貰い物のお菓子があってよかったです。と言いながら、トレーを手に再度キッチンの方へと戻る。
「あの、これは・・・;」
「あ、アデルさんはアッサムティーはお好きですか?いちお、そんなに癖のない紅茶のはずなんですが・・・。」
「あっさむ・・?いや、特に紅茶に好き嫌いはないが・・・。」
「そうですか。それじゃあ、甘いものが苦手でなければ、是非ミルクティーにして飲んでみて下さい。今、ミルクを温めますから。」
「・・・・・。」
なんだかすっかり相手のペースだ。
アデルは、目の前のクッキーと沸かし立てのお湯を入れたティーポットとティーカップを見つめて、自分はお茶に来たわけではないのだがと、緩く溜め息を吐いた。
(・・・何故、ティーカップにまでお湯が・・?)
普段紅茶など余り飲んだことのない彼は、茶葉の種類も知らなければ紅茶の正しい入れ方など知るはずもなく。また、飲んだと言ってもストレートで数回飲んだことがあるくらいで、ミルクティーなど一度も口を付けたことがなかった。
紅茶か珈琲かを選べと言われたら、断然後者だ。

とそこへ、リリスは温めたミルクをポットとお揃いの白い陶器で出来たクリーマーに入れて持ってきた。もう片方の手には、さらさらの粉砂糖が入った壺型のシュガーポット。
どちらも同じようにテーブル上へ置き、そしてやっと、自分も椅子の上に落ち着いた。
何がそんなに楽しいのか、にこにこ笑顔を崩さないリリスに、アデルは不審そうな目を向ける。
「・・・何を、笑っているんだ?」
「久しぶりなんです。」
「は?」
「祖母が亡くなってから、あまりお客様も来られなくなりました。なので、こうして誰かとお茶をするのも久しぶりです。」
「・・・・。」
アデルは彼女の表情に、任務に来たという自分の目的を忘れそうになる。しかし、やっと落ち着いたらしい彼女に、聞きたいことはまだあるのだ。軽く居住まいを正して、再び質問の体勢に入った。

「それで、君に聞きたいんだが、噂によると此処に住む魔女と呼ばれる人間には何か特別な力・・魔術と、言ってもいいだろう。とにかく、そういう力があるのだと聞いた。今の話だと、君のお祖母さんがそう呼ばれていたようだが、彼女には何か不思議な能力が?そして君にも・・・・その力というのは、あるのだろうか?」
「魔術・・・ですか。」
リリスはそう呟きながら、じっとアデルの顔を見つめる。アデルも真剣な顔で、リリスの言葉を待った。
「・・・そうですね。でも、たぶんアデルさんが考えているような力は持っていません。私に出来ることは、此処の庭で栽培しているハーブや薬草から簡単な薬を作ることくらいで・・・・」
「その薬を作るのに、何か特別なものを用いているとか・・。」
「いえ、特別なことは何も。何かしているというのなら、その薬が病気や怪我をした人達によく効くようにと、想いを込めて作っているということくらいでしょうか。製法も昔ながらのものですし・・あ、この場所は日当たりもいいので、薬草の育ちがいいのも良い薬が出来る要因かもしれません。」
そう言ってから、リリスは唐突に「そろそろいいですね。」とティーカップを持って席を立ち、キッチンの方へと向かう。カップに入っていたお湯を、キッチンの傍の水回りにあった草花にかけた。そして再びカップだけ持って戻ってくる。
それをソーサーの上に戻すとティーポットを傾け、それぞれのカップに澄んだ濃い紅色を注ぎ入れていく。入れ立ての紅茶は薄く湯気を立て、特有の良い香りが辺りに広がった。
アデルは初めて見る鮮やかな水色の紅茶に思わず見惚れ、紅茶とはこれほどまでに彩色鮮やかで、鼻腔の奥を擽るような香りを持っていただろうかと、いつの間にか、リリスが紅茶を注ぐ一続きの動作を、その細部までじっくりと眺めていた。

注ぎ終わると、スッと静かにカップをアデルの前に差し出す。
薄茶色の瞳が、優しく微笑んでいた。

「どうぞ。」

その顔と言葉に押され、彼は思わず差し出された紅茶をゆっくりと手に取っていた。
持ち上げれば、中の紅色は光の加減でキラキラと輝き、揺れる水面は柔らかな波を描く。
カップに口をつけて軽く手前に傾けると、まだ熱の冷め切らない熱い液体が舌の上にじんわりと広がった。
その味に、アデルはまた驚いて。ごくりと、喉の奥へと通せば、まだ舌先には紅茶の強い味が残っていた。緩やかな動作でカップをソーサーの上に置く。
目の前には、にこにこ顔のリリス。

自分には特別な力など何もないと言っていたが、アデルにはその紅茶の味が、まるで魔法でも使ったかのように特別なものに思えた。
彼女の笑顔と手元の紅茶を見比べて、彼は何か大きな確信を得る。
まだ、此処を離れるわけにはいかない。諦めるのは、まだ早い。


(彼女が何も話してくれないのなら、この目で真実を見極めるまでだ。)


カップの中のアッサムティーが、目の前の少女の瞳のようにキラキラと波打つ。
芳醇な香りがアデルの喉の奥にまで届き、それはとても、懐かしい味がした。


To be continued….

 

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『Garden』-第一章:魔女の岬に住む少女①-

2009/09/19(Sat)21:10


ガーデンハート国国軍少佐アデル・ガーランドは、眉間に皺を寄せ、本日何度目か分からない溜め息を漏らした。

「はぁ・・・・」

その表情があまりにも深刻そうだったからだろうか。同じ乗合馬車に乗った向かいの席の老婆が、親しみある笑顔で声を掛けてきた。
「若いのに、苦労なさっているんですねぇ。」
「え・・・あ、はぁ・・。」
アデルは曖昧な表情で頷く。
自分はそんなに人に見咎められる程の回数、溜め息を吐いていただろうか。
それほど深刻な理由で吐いた溜め息ではないのに、人目を惹いてしまったのはよくないことだ。
ただでさえ此処は他国の土地で、その上極秘任務を帯びて来ているのだ。あまり地元の人間と親しく接しておきたくはない。下手に顔を覚えられても厄介だと、被っていたハンチング帽を目深に被り直した。視界の端で、自分の黒い前髪が揺れる。

しかしその仕草が、突然話し掛けられたことに対しての照れ隠しかなにかだと勘違いされたのだろう。老婆は益々もって、親切にもアデルの方へ言葉を投げかけてくる。
「あなた、此処へは観光で?それとも、その様子だとお仕事かしら?」
お仕事の件に正直肝が冷える思いがしたが、それを表面に出す程彼も馬鹿ではない。第一、今は軍服のような目立つ服装ではなく、極々一般的な出で立ちだ。そうそう自分の身分がバレる心配などない。なんでもない風を装って、「観光です。」と笑顔で返した。
「そうなの。ネリネへは初めて?」
老婆は若者が自分の言葉に反応してくれたことが余程嬉しかったのか、最早会話を切り上げる様子はなく、まるで久しぶりに再会した孫とでも言葉を交わすような調子で続ける。流石にこれを今更跳ね返す訳にもいかないだろう。アデルは内心の鬱屈な気持ちをなんとか脇へ追いやって、老婆との会話に意識を向けた。

「えぇ。」
「いいところでしょう、ネリネは。でも、どうしてラントなんてこんな田舎の方に?観光なら、首都のネリアの方がもっと見るところがあるでしょうに。」
「実はこちらの方に、祖父の古い知人がおりまして。祖父は長い間、またその知人と会って話がしたいと言っておりましたが、ついにその願いも叶わず、先月亡くなってしまいました。」
「まぁ・・・それは、ご愁傷様です。」
アデルはフッと寂しげに微笑んでみせる。心の中では、我ながらよくこれだけの嘘がべらべらと出てくるものだ。などと思っているなど、露ほどにも見せない。
彼はそのまま、哀愁を帯びた祖父思いの好青年を演じることにした。
「その祖父の死の知らせを知人に送ろうにも、分かっている住所はかなり古い物ですし、どうせなら、観光がてら祖父が親しくしていたという知人を訪ねてみるのもいいかと思いまして・・・・。」

と、そこまで話し終えて、アデルは自分へ向けられる周囲の視線が、どこか同情を含んだものになっていることに気がつく。
これは、少々やりすぎてしまったかもしれない。
決して広くはない乗合馬車だ。そこで話をしたら、どうしたって他の同乗者にも聞こえてしまう。目の前の老婆以外で同乗していた2,3人の人間は、いつの間にかアデルの方にちらちらと視線を投げかけ、若いのになんて祖父思いの青年なんだ、といった目で見つめていた。老婆は、いつの間に取り出したのか手持ちのハンカチを目元に宛い、湿った声で答える。
「そうでしたの・・・・それは、悪いことを聞いてしまいましたね・・。」
「いえ・・・。」
これは困った。適当に話して、早々に会話を切り上げてやろうという目論みは、自分の舌のあまりの饒舌さ故に、尚更相手にとって印象深い青年像を残してしまったようだ。
だが、今の話のおかげで、老婆は先程までの彼の溜め息の理由がそれだと思ったのだろう。深く何度も頷いて、「そうだったの・・・。」と呟く。
そこまで信用されてしまうと、嘘をついた方としてはどうにも居心地が悪かったが、これも無事任務を遂行するためだと思い、アデルは良心に蓋をした。
乗合馬車はガタゴトと、凹凸の激しい田舎道を進む。

老婆は一通り目元を拭い、それからまたアデルの方へ、今度は更に親しみの籠もった瞳を向けた。
「ラントは田舎ですけど、緑の多い豊かな町ですよ。どうぞ、ゆっくり観光なさって。」
「えぇ。」
老婆から向けられた瞳と言葉に、折角蓋をした良心が再び顔を出しそうになったが、それもなんとかやり過ごして、アデルは好青年の笑顔で答える。どうやらこれで話が切り上がりそうだと、内心ホッと息を吐いた。

「そうそう、折角観光にいらしたのなら、この先にある“魔女の岬”に行くといいわ。」
そうだ。すっかり失念していた。この年の女性は、こんなことぐらいでは簡単に話を切り上げてくれたりはしない。
再び話し出した老婆にアデルはほとほと閉口したが、そんなことよりも、今度は自分にとっても気になる話題だったため、そのまま話を聞くことにした。
「魔女の岬?」
「えぇ。この先の海に面しているところは、見晴らしのいい高台になっていましてね。そこには昔から、魔女が住んでいるんです。それで“魔女の岬”なんて呼ばれているんですよ。」
「魔女・・ですか・・・。」
アデルが疑わしそうな表情をすると、それを見て老婆は明るい笑い声を上げる。
「まぁ、魔女と言っても、此処にいる魔女はどこかにある伝承のように人に災いをもたらしたりなんてことはしませんよ。町の人達とも仲が良いし、この辺りでは薬屋で薬を買うよりも、何かあったらその魔女の所へ行った方がよっぽど良い薬が貰えるって、専らの評判でしてね。それに、あそこは景色も空気も良いところですから、一度見に行くだけでも損はしませんよ。」
「そうですか・・・。」

アデルは一度そう言って言葉を切ってから、一瞬逡巡した後、意を決したように老婆に質問をした。
「あの、その魔女の作る薬というのは、魔術・・なんかを使って作っているんですか?」
「魔術?」
老婆はあまり耳慣れない言葉を聞いたようで、キョトンとした顔だ。アデルは慌てて訂正する。
「いや、なんでもありません。分からないならいいんです。その、変なことを聞いてしまって・・・・」
「そうねぇ・・・。」
ゆっくりと、しかしはっきり、老婆はアデルの言葉を遮るように一声そう呟いた後、感慨深そうな表情で言った。

「魔術・・・あれがそうだと言うのなら、そうなのかもしれないわねぇ・・。」




ガタンゴトンッ。
「それじゃあ、お気を付けて。」
乗合馬車は、左右に大きく車体を揺らしながらアデルの前を通り過ぎていった。すっかり親しくなってしまった老婆は、丘陵地の上にいるアデルの姿が見えなくなるまでずっと手を振っている。
それも見えなくなってしまってから、アデルはやっと肩の力を抜いて一つ息を吐いてから、ジンジンと痺れを訴える腰の部分に手を当てた。
まさか、あの眉間に寄った皺と回数の多い溜め息の原因が、長時間の乗り慣れない乗合馬車の硬い椅子と揺れの激しい田舎道の所為であったことなど、あの老婆も気がつかないだろう。
トントンと腰の辺りを数回叩いて、うんと伸びをしてから、アデルはこれから向かう道程へと視線を向けた。

(・・・森、だな・・。)

乗合馬車が通って行った割と開けた道に対して、そこから脇の方に伸びた道は、どう見ても人が数回行き来をしてやっと草が生えなくなった程度の細い道だ。しかもその道は、明らかに木の生い茂った深い森の中へと続いている。
自分はこの青々とした草原の広く開けた場所から、あの黒々と背の高い木々が日の光を通さんばかりに生い茂った森の中へと足を踏み入れなければならないのか。
そう思っただけで、大分げんなりしてきた。
アデルは、穏やかな日が差す温かな春の陽気の下、覚悟を決めて青空の下から日の見えない暗い森の中へと足を進めた。



ザッザッザッ・・・・――――――

道の通り、進んでいると思う。
時折目の前に現れる細い木の枝を掻き分けながら、アデルは道なき道を進んでいた。いや、実際にはよくよく見れば分かるぐらいの、細い道はあるのだ。でも、これを果たして道と呼んでいいものか。
いくら極秘任務と言っても、これは軍の訓練じゃない。それにしては、何だか野営の訓練地に赴いたときと似た感覚がするのは何故だ。一瞬・・・と言わず何瞬もそういう思いが頭を過ぎったが、そんな考えはなんとか頭の端に追いやった。とにかく今は、目の前の道(?)を進むしかない。
そう、今回の任務は極秘な上に、今後の世界の命運を掛けた重大な任務なのだ。

アデルは強く拳を握りしめ、進む足の速度を速めた。



“Garden”
この世界がその名で呼ばれるようになったのは、ほんの800年程前のことだ。
それまで世界は数多くの争いの中で、どの国も領主が変わる度に名を変え土地の形を変え、世界地図など作るだけ無駄だと言われる程に、激しくその様相を変化させていった。
ある時、あまりにも国が安定しないのはよくないと、ある国が国名をその国の国花の名に決めた。するとそれを真似るように、次々と他国も自分の国の名を花の名に決め、それ以後その名の改変だけはしないと定める。
そしていつしか、この世界は花々の名を国の名とすることから“Garden”と、呼ばれるようになった。
しかし、いくら国名を決め世界の名を決めたところで、国同士の領地を巡る争いは絶えない。Gardenは、その美しい名とは到底かけ離れた、争いの絶えない戦争と恐怖の渦巻く荒廃した世界だった。

そんな中、世界を変える救世主が現れる。
現ガーデンハート国国王、ルイ・セイバーン。
彼は、この荒んだ世界を一つの平和な世界にしようと立ち上がった革命家だった。ルイは、硬く国を分かつ国境という壁を擦り抜け、世界中を旅して周り、密かにこの世の平和を願う同志を集めた。そうして集まった同志達はある時、一斉に行動を開始する。

庭歴832年、世界平和革命。

これによって勝利を得たルイは、Gardenの中心に「ガーデンハート国」を建国した。
ガーデンハート国は、国籍、国境といった枠に捕らわれず、世界中の人々を受け入れ、国同士の交流のためにと生み出された国だった。
ルイは、形式上はこの国の国王として在るが、実際には自身で大きな権力を持とうとは考えなかった。そして、他国の王たちに以下のような宣言をしたのだ。

“このガーデンハート国は、世界中の民の出入りを許し、且つ、この国のことは各国の代表者が議会をもって決定する。又、国同士の様々な問題もこの国で話し合いの場を設け、そこでの解決を主とする。”

こうしてガーデンハート国は世界のパイプ役を果たし、話し合いで解決できる小さな問題は戦争という大きな形をとらなくてもよくなっていった。
世界は平和を手にしたのだ。

それから、年月は過ぎ、庭歴857年。
今また、世界は暗い時代を迎えようとしている。



(!あれは・・・・)

アデルはどこまで行っても変わらない草木の風景の中、今までとは違う新しい景色を見つけた。日の光が道の先を照らしている。目の前に、この森の出口が見えていた。
ゴールを見つければ、自然と早足になってしまうものだ。半ば駆け足にも近い速度で、アデルはそのゴールまで真っ直ぐに、森の中を進んだ。


ザッ・・―――!

木を掻き分け、数分ぶりの日の下へ出る。
森の暗さに慣れた目は、突然の光量に即座に対応出来ず、瞬間、視界が白くぼやけた。咄嗟に右腕を前に翳し、日光を遮る。しばらくすると、明るさに目が慣れ、目の前の景色がはっきりと、その黒い両の目の中に映った。

「!!」

目の前に広がる草原。その草の青さは、この森に入る前に見た土地に生えているものよりも数段青く、日の光にその葉をてらてらと輝かせている。その間を一本の綺麗な道が、飴色の地肌を見せて伸びていた。
その先には、平たい岩を小端積みにした背の低い石垣が続き、道はその間にある可愛らしい装飾の小さな門へと続いている。
その門の向こう側に見えるのは、小さな木造造りの家だ。赤茶けた石の屋根からは蔦がしなだれ落ち、窓の前で揺らめいている。家自体はとても小振りで、その周囲の広い庭では色とりどりの季節の花が咲き乱れていた。小さな桟橋のような物が付いた池も見える。
その更に背景には、どこまでも続くマリンブルーとスカイブルーが美しいコントラストを見せて広がっていた。

アデルは、その場から一歩も動けないでいた。

一体、自分はどこか不思議な世界にでも迷い込んでしまったのかと思う程、それは別世界のような光景だった。言葉を失い、ただその景色に目を奪われる。
素朴で、どこか懐かしささえ感じさせる温かな風景。風は、潮と緑の香りを乗せて優しくアデルの頬を撫でた。

(此処が・・魔女の岬・・・・・)

老婆がその名を口にした時は、また心臓が跳ねたような気がした。何故ならその場所こそ、自分が目指していた目的地だったからだ。
世界に平和を。そのために、ガーデンハート以外は未だ取り締まりの厳しい国の国境を抜け、このネリネまでやってきた。今から自分が会うのは、“魔女”と呼ばれる人間。
嫌でも体中に力が入る。
軽く一呼吸置き、アデルは目指す家から少し高い位置にあるその丘陵地を歩き始め・・・・

ドンッ!!

「はぅあっ!」
「!?・・・っな・・!;;」

ようとしたところで、突如背後からの攻撃に宙に浮かせた片足がおかしな形で地面に着地した。いや、着地はしなかった。変な格好で地面に激突した片足と、衝撃のため前のめりになった身体の所為で、アデルはそのまま丘陵地の坂に頭から突っ込んだのだ。
背後からぶつかってきた刺客(?)もその勢いで一緒に坂を転がり落ちる。

「うわああぁぁぁぁ・・・っ!!」
「きゃーーーーっ・・・・!!」

これが不幸中の幸いとでも言うのだろうか。
アデルと刺客は、目の前には他に道がなかったために、家に向かって伸びる綺麗な一本道の上を、これまたきちんと道なりに沿って転がっていく。

ゴロンゴロンゴロンゴロン・・・・・・―――――――

こんな緩やかな丘陵地で、どうしてこんなに見事な転がりをみせているのか。
天と地が何度も目の前を交互に行き交い、そろそろ二つの境界が曖昧になり始めた頃、その見事な肉弾大玉転がしは始まりと同様、これまた唐突に終わった。ガシャンッという不穏な音を響かせて。

「いっつ・・っ!//」
「へぶしっ・・!!」

この大玉を止めたのは、他でもなく先程まで丘陵地の上から眺めていた家の小さな門扉。
アデルの後頭部がその鉄製の門に激突することで、漸く二人分の人間の身体は止まった。
しかし後頭部に激痛が走ったのとほぼ同時に、今度は鳩尾辺りに一緒に転がってきた相手の頭が突っ込んできて、アデルはすでにノックアウト寸前だ。
とりあえず、腹筋を鍛えておいてよかった。

「ぐっ・・・!;;」
「あ、あばぁっ!だ、大丈夫ですかっ!?;;」

自分の腹の上に頭をめり込ませていた相手が、慌てて顔を上げる。
それにしても、先程からリアクションを取った時の声が奇妙だ。自分は奇怪な生物にでも攻撃されたのかと思い、アデルはぐわんぐわんと揺れる頭を押さえて、目の前にいる人物を見た。

アデルの視界いっぱいに、透き通るようなラセットブラウンが広がっていた。


To be continued….

 

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